窓をあけて空をみよ

戸建に引っ越し。買わずに、大切に、気持ちよく。

とにかく歩きだしたい

これまでの人生、すべてにおいて考えすぎてきたように思う。

考えてばかりいると、悪いことばかり浮かんでくるから

精神的に、ものすごく疲れる。

失敗したらどうしよう、とおもうから決断ができない。

自分のことだけならまだしも、家族に起こる出来事も

自分のことのように不安に思うし、

自分のこと以上になにもできないから、さらに疲れる。

 

でも、50歳まであと1年と少しとなった今、ちょっと思う。

立ち止まっている時間なんてないんじゃないかと。

考えて考えてなにもしないより、とりあえず動こう。

考えすぎる欠点を、年齢の焦りの感情がほどよくカバーしてくれる。

 

あまり考えもしない(以前よりは)で行動に移すと

無駄になったり、手間が増えたりすることもあるけれど

考えるだけで時間が過ぎていくよりはいい、と思うようにしている。

まだ「思うようにしている」だけど、いずれ「思う」と言いたい。

 

娘たちから、なにか相談事を受けても、まずは自分に言い聞かせる。

大丈夫、今までさんざん心配してきたけど、いつも大丈夫だったじゃない、と。

心配はするけど、大丈夫大丈夫。

 

あ、今気づいたけど、わたしは誰かに大丈夫って言って欲しかったんだ。

ま、そんなことはいいか。

自分で自分に、大丈夫大丈夫、って言って言い聞かせて

どんな道でもいいから歩きたい。

 

できれば歩いたことのない道を歩いてみたい。

おでんは保温でじっくり

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おでんの味をしみ込ませるには、長い時間に煮込むのではなく

長い時間をかけて冷ます、ときいたことがある。

土鍋でおでんをつくり、あとは布でくるんでおいておくだけ。

保温カバー、というほどのちゃんとしたものでない。

使わなくなったバスタオルとウールの布で四角く縫っただけ。

新聞紙でもいいらしいけど、さすがに新聞紙はね・・・。

でも綿帽子みたいなものは少々面倒。

カレーや肉じゃがのときにも活躍。

気持ちを落ち込ませるほどの我慢

子どものころ始めた武道は、2年でやめたくなった。

厳しい母は、自分で言い出したことでしょ、といってやめさせてくれなかった。

それからまた2年がんばった。

何度さぼっても、激しく叱責された。

ドクターストップがかかったときは、これでやめられると喜んだのに

それでもやめることは許されず、痛み止めの注射を打ちながら試合に出た。

日本を代表するアスリートじゃあるまいし。

やめたい理由も聞いてもらえず、やめさせたくない理由も言ってくれなかった。

結局8年。

 

このことを人に話すと忍耐力がついてよかったね、と言われる。

でも、忍耐力というよりは、ただただ我慢していただけ。

困難を乗り越えるとか、やり遂げるとか、そんな前向きなことではなく

鬱積した感情をただひたすら持ち続けていただけ。

もしかしたらひとつやふたつ楽しい思い出もあったのかもしれないけれど、

思い出されるのはただただ辛かった、ということだけで、

でもその話になると母親を責める口調になってしまうので

どうしてそこまでして続けさせたかったのかも聞いていない。

ものごとを嫌々続けるデメリットは、忍耐力がつくというメリットをはるかに超えていた気がする。

 

だから、自分の子どもには、やりたいことを挑戦させたかったし、

やめるときも本人の意思を尊重したいと思ってきた。

嫌なことを我慢し続ける忍耐力よりも、やりたいことのなかで遭遇する困難を

乗り越える忍耐力をつけてほしかった。

 

こどもには未知の世界を知るきっかけをできるだけ多くつくるようにした。

親であるわたしにもいろんな思惑や期待はあったけれど、そこはこらえて、

子ども自身がもっともっと!という強い気持ちが出てきたときに,

よし!と応援するようにした。

そのほうが意欲も高いし吸収も早い、なにより楽しんでやっていたように思う。

だからなのかもしれないけれど、そんなふうに始めたことは、

やめるときに「やめたい」とは言わず「やめる」だった。

やめたい、のではなく、やめる「時」がきた、というすっきりとした意思があった。

 

それでも次女が「やめたい」といったこともある。

やめたいと言い出す1、2か月前からなんとなく悩んでいるのは気づいていたし、

理由も納得できた。簡単にやめたいって言ってるんじゃないことがわかったから

それは「やめたい」で良かったと思う。

 

忍耐力は必要。

でも、気持ちが落ち込んでしまって抜け出せないほどの我慢は必要ない。

と、わたしは思う。

自分で決めるということ

娘たちには、進路などで迷ったとき、自分の行きたい道を選んでいいよ、と言ってきた。

そのほうがあとで後悔しないと思ったから。

 

でも、自分で決めるというのは、決断するその時よりも、その後のほうがしんどいのではないか。

自分で決めたことは、壁にぶつかったとき人に八つ当たりできない

誰のせいでもない、自分で決めたのだからこうなったのは自分のせい、と思いがちだから。

いくつかのことを娘に決めさせたものの、弱音を吐かない子だったから、

かえって辛い思いをさせたと感じたこともある。

もう少し強く親の意見を言ってもよかったかな、と思うこともあった。

 

でも、その時その時、真剣に考えたことなら、その時の決断を悔やまなくていい。

あとから、あれ?こんなはずじゃなかったのに、って思ったら、今を愚痴ればいい。

自分が歩んできた道に間違いなんてない。

 

 いま、また進路で悩める娘へ。

Aに進んでもBに進んでも大丈夫。

Aを選んでも、またBを始めることだってできる。

途中でCに行きたくなるかもしれない。

 

自分で決めたからって、自分だけで抱え込むことはないからね。

ほぼ日手帳2018

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2009年からほぼ日手帳を使い始めた。

はじめの年は、どう使っていいのかわからなかった。

2年目以降は、なんとなく自分なりに使えるようになり、

ある年は持ち歩き不可能な厚さになったり、

ある年はやる気のない文字がただ並んでいたり。

いつの年だったかは、違う手帳にかえたこともある。

手帳に感情があふれ出して、あとで破り捨てた年も。

いまは8冊目。

何となく気分転換にまた違うものを使おうかと、ほかのものを見てはみたものの

やっぱりこれかな・・・とほぼ日をまた買った。

新しいほぼ日に書き写すのは、健康診断やがん検診を受けた最終日。

家族の飲んではいけない薬リスト。

やりたいこと100リスト。

やりたいことリストはまだ50個くらいしか埋まっていないので、継続して追加していく。

クリアしたのはそのうちまだ7個。

あと3か月で今年が終わる。

楽しいことで埋め尽くせたらいいなぁ。

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Silkeborg(シルケボー)のブランケット 2枚目

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去年、購入してよかった!とおもったもの。

ほかのメーカーのものより格段に暖かいので、奪い合い。

寝る時は、布団のいちばん上に掛けると、さらに暖かくなる。

朝起きると、そのブランケットを肩からかけキッチンへむかう。

ゴミ出しで寒い朝、さっと羽織って外へ行く。

2枚あっても絶対無駄にしない自信があるので購入。

 

1枚目は手洗いして、長さが十数センチ縮んでしまった。

幅や風合いはそのままだったけど。

今度は風にあてるだけか、クリーニングにしようとおもう。

 

グレー・ボーダーとブラウン・細ボーダー

伸びすぎたサルビア・・・たぶんサルビア

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植物を育てるのは苦手。

 

外に置いてある鉢は、夏は西日ががんがん当たり

冬は北西の風にさらされる。

そのなかで、水やりくらいしかしていないのに生き残っている植物は

かなりの生命力があると思われる。

 

そのひとつがサルビア・・・たぶん、サルビアなんとか。

自分で植えた花の名前も覚えていないくらいずぼらでも

ほうっておいても翌年には元気に伸びてくる。

ほったらかしなのでひょろひょろだけど、

道にはみ出した枝を生けたらよいかんじ。

やっぱり緑はあるといいなぁ。